HexWolf Blog

自分が使わないAIサービス

結論

  • ClaudeやGeminiといったコード生成や学習用にはガンガン使う
  • 音楽生成や画像生成については現状のままなら距離を置く

はじめに

AIでの生成物はここ近年でもかなり強化されてきている印象です。

私自身プログラミング学習者としてClaudeやGeminiをいい感じに使っています。特に設計の叩き台からDraftPRまで壁打ちから作業のお供として活用でき、今まで実現出来てこなかったことを実現できるようになりました。一方でこれ俺いらなくない?みたいな虚無感に襲われることもたまにはありますが恐らく幾多のエンジニアも同じ事思ってそうだし今回の話題ではないので投げときます。

さて、私はAIに興味がありますが全てのAIサービスに対して同じ距離感なのではなく、特に音楽生成や画像生成については距離を置いています。

今回はなぜそんな措置に至ったかを書いてみます。あくまで自分がどう向き合うかという個人的な線引きの話であり、業界全体の総意やあるべき論を語るものではない点はご承知おきください。

前提

  • Web系プログラマー初学者
  • 音楽や絵に対して過去に何度か制作したことがある。今でも道具自体は揃っている。

本題

コード生成や学習用途は肯定派

コード生成や学習用途にAIを使うのはある程度問題ないと思っています。

理由はエンジニア文化において「OSS」の存在やライセンスによる利用範囲の明示が比較的成されていることにあります。

故にAIの学習に対しても比較的エンジニア界隈では同意されている側面があります。まあAI会社がどこからデータを拾っているかはブラックボックスのため実際アウトなデータも恐らくありますが、これはポリシーの問題であってアウトなデータが意図せず混入してくるのは避けられない可能性もあるので…。

またAIの利用自体もコードは比較的人の手を後から入れやすいというのもGoodポイントですね。設計からテスト範囲、コード規約、重要視する部分まで自然言語で実装と制約をあらかじめ決めておくとそれなりに良いコードが返ってきますし、それを承認するかどうかのプロセスもエンジニアのワークフローでは醸成されているという印象です。

学習用途についてもドキュメントを読む前の下調べに使う等では学習の入り口としてとても良い動きです。おかげで私はRuby全然分かんないんだけど……からRubyナニモワカラナイに進化しました。

総じてエンジニアに関わる分野では比較的AI利用は今後も続けていきます。

画像生成・音楽生成には懐疑的

一方で画像生成や音楽生成については、正直なところ使うのは躊躇しています。

まず学習している場所が疑義が残る場所であるのが大きな理由の1つです。音楽制作者や提供側というのは色んな意図はあると思いますが、大多数のユーザーに対して視聴をしてもらうことが目的であり学習をしてもらう、パクってもらうことを念頭に楽曲や作品を提供しているケースは少ないのではないかと自分は感じています。

ネットに流す以上そういったリスクがあることは十分に承知しているとは思われますが、学習や再利用前提のエンジニア文化とは反対の立ち位置にあるように自分には見えます。

続いて芸術作品、とりわけ音楽作品は非言語的な芸術であるのが理由です。
音楽は主に旋律(メロディ)、和声(ハーモニー)、律動(リズム)という3大要素によって構成される芸術作品です。そこにはAIが学習しやすいような言語化されたREADME.mdはありません。

音楽がデジタルの世界で再現するためにmidiという規格が生まれた時から音楽の3大要素はパラメーターで管理されるようになりました。一方で今でもなお現実では若者の間ではライブが日常的に行われ、レコードの愛好家もいて、楽器も日常的に扱われかつそれで稼ぐプロとお金を落とすユーザーもいます。今なんて最悪違法ダウンロードをしてでも音楽を聴ける時代なのに、です。

音楽にはそのパラメーターだけでは言語化できない要素というのが多くあり、その答えというのもある程度音楽論の中にあっても数多のプロの音楽家たちごとに独自の理論を持っている可能性すらある世界です。故に、AI音楽サービスではその一部をそれっぽい感じでしか作れない上、非言語化である以上どこを模倣するかと言えば分かりやすい部分をAIが選択してしまいがちになる以上、音楽界隈におけるセンシティブな部分に触れる可能性すらある作品を大量に生成しているのが現状だと思われます。

個人利用なら最悪まだ良いかもしれないですが、プロシーンにおいてそんなリスクを抱えるのは自分だったら躊躇してしまうと思います。

ここで反論として、音楽や絵は模倣から始まっている。AIだって同じ過程を辿っているという意見もあるかと思います。もちろんこれらの芸術作品が模倣から始まっているというのは否定しません。それこそ師匠という存在がいて、弟子に教えるというのは有り体に言えば真似なので。

一方で、AIが問題視されるのは先程も書きましたが現時点でAIにはその思想まではあまり反映されていないように自分は感じています。よくも悪くも現状の最適解を出すのがAIなので、人間がその芸術に対して醸成してきた思想、概念、心情といった部分をAIは無駄の一言で簡単に切り捨ててしまう可能性があると思っています。

また、その上で数も問題だと考えています。芸術作品に対して真似するぞと意気込んでも非常に時間がかかります。人物画1つ取っても、絵の技術論、人体解剖学、色の技術、道具の技術、歴史的背景、あと単純な時間を加味すると贋作でも多大な時間がかかります。一方でAIはちょっとした時間で数枚も数十枚でも作ります。そこには自分の感覚として明確な差があります。

この反論に対する自分なりの答えとしては、AIと人間の過程は同じだとしても効率性と思想が違いすぎて影響力が甚大すぎる、というものです。人類が数千年かけて今なお発展が続く芸術世界が壊されるかもしれない可能性に対して危機感を覚えるのは、少なくとも自分にとっては自然な感情です。

もう1つは音楽生成や画像生成には現時点で人間が介在する余地が少なすぎると自分は感じている点があります。AI絵師、なんて言葉が一時期流行りましたが、自分の目には、AIの技術を引き出すためにプロンプトを何度も調整し、試行錯誤を重ねる作業として映ることが多いです。

もちろんプロンプト設計や試行錯誤にも技術はあると思いますが、そこには再現性という概念が薄いように感じます。たとえSeed値を固定したとしても最初の絵と次の絵は同じではないはずです。またAI自体も進化していく中でプロンプト次第でどう動くかがかなり変わってくるはずです。

じゃあ最初の絵と次の絵が同じになるように調整すれば良い、と思うかもしれませんが、絵の技術や音楽の技術というのは調整が非常に難しい作品です。例えばドラムのこのシンバルをもう少しだけタイトにしたいんだよな…って思っても、コードを遡って数字をいじれるテキスト形式と違い、音楽データとして渡されるものはエンコード済みの物であるため、数字を直接触りに行くことは困難なはずです。AI様AI様どうかお願いですって神頼みしにいくだけです。

そこに人間の作品と同じだけの手触りがあるかというと、自分の中ではまだ迷いが残っています。

まとめ

ClaudeやGeminiのようなコード生成・学習支援のAIは、今の自分の学習にとって欠かせないツールです。ここは今後も遠慮なく使い倒していこうと思います。

一方で画像生成や音楽生成については、AI利用に対する制作者、ユーザーの意識はもちろん、非言語化芸術の隅々まで網羅された言語化、人間が介在できる技術として発展という現状不可能そうな事例を解決しない限りは自分から積極的に手を出すことはなさそうです。