とある記事の国内エンジニア40~50代批判とオタク批判、その論理は妥当か
はじめに
こちらの記事を読んで、主張の展開がちょっと危ういなと感じたので、自分なりに考察してみました。
記事の要約
筆者は6歳からプログラミングを学び、大学でAIやビッグデータを専攻した経歴を持つ。家庭内の経済的事情で国内IT企業に就職したものの、IT業界(とりわけ先輩や上司のエンジニア)のせいでモチベーションが低下し外資転職をしたいという記事でした。
なぜそう感じたかという理由として大きく2点を挙げています。
- 40〜50代エンジニアはWinny裁判や就職氷河期などを引きずり、他責思考と被害者意識が強く、保守的な姿勢が生産性を下げていること
- 先輩方の、エンジニアはみんなオタクという決めつけでアニメやラノベの雑談を振られるのがストレス
この2つさえ改善すれば高パフォーマンスを出せるはずだが、改善の見込みがないので外資に転職するという論理を展開しています。
私の考察
まず経歴自体に問題はありません。ただ、家庭の事情を理由にしつつ、国内エンジニアのせいで精神が摩耗したと語る流れ自体が、本人が忌み嫌っているはずの他責思考や被害者意識の表れになってしまっていると思います。
40〜50代のエンジニアに対する批判も、根拠が著者が実際に就職した、我々の知らないどこかの会社やSNSでの誰か止まりです。一次体験そのものは否定しませんが、一社・数人の実感を「40〜50代の国内エンジニア」全体の傾向であるかのように語るのはスコープが広すぎるという印象です。AIやビッグデータを専攻しているなら、そこに再現性や統計的な裏付けを求めたくなるところですが、それも無い様子。
就職氷河期は実際に厳しく、今40〜50代の人たちはまさにこの世代にあたります。Winny裁判も新しい技術を作ると罪に問われるかもしれないという空気が当時の技術者を萎縮させたという文脈で語られることが多いです。つまり著者が挙げた2つの出来事自体は、当時の技術者が保守的にならざるを得なかった社会的背景として実在します。ただ、それはあくまでなぜ当時そうなったかという世代全体の話であって、目の前にいる個々の先輩エンジニアが今もその通りの他責思考を持っているかどうかとは別問題のはずです。
オタク批判についても、本文中で真紅のベヘリット(ベルセルク)や鬼殺隊(鬼滅の刃)といった自分の好きなジャンルの話は普通にしていて、他人の興味のないアニメ、ゲームジャンルへの雑談だけを敵視しているように読めます。仕事中に無関係な話題を振られるのがストレスという点自体は理解できますが、それをガキ扱いしてんじゃねえよと切り捨てる態度は、コミュニケーション不足を自分から広げているようにも見えます。
最後に、外資に転職すればすべて解決するという結論にも疑問があります。外資は基本的に個人の裁量が大きい分、チームを組む際は自分から信頼関係を作る力がより強く求められるはずです。ITエンジニアはこうあるべきという押し付けが強い人物と、進んでチームを組みたいと思う人がどれだけいるでしょうか。結局、余暇の話題も含めた雑談力は今以上に必要になる気がします。
雑感
私個人としてはアニメやゲームはロマンにあふれる世界を描いている作品が多いと思います。我々エンジニアはそんなロマンを実現したいという顧客に対して、実現可能性まで落とし込んで形にするのが仕事の一部だと思っています。
イーロン・マスク氏のNeuralinkが『アクセル・ワールド』のニューロリンカーが元ネタではないかという考察をたまに見かけますが、本人の発言などの裏付けは見当たらず俗説の域を出ないようです。ただ、ゲームやアニメの世界観がエンジニアの発想の引き出しになりうるという可能性自体は、成功例の有無にかかわらず十分あり得る話だと思います。
だとすれば、アニメやゲームはもちろん色んな趣味に対して自分からシャットアウトしようとするのは、単純にもったいないなと感じます。私自身はまだIT業界に入っていない身なので偉そうなことは言えませんが、他人の好きなものを一方的に切り捨てる側にはならないようにしたいと、この記事を読んで改めて思いました。